80年代の米国の大統領選が舞台。
ゴルバチョフ、ブッシュ、CIAという単語が並んだからパパブッシュが大統領に当選した時の選挙かな。
冷戦末期の米国大統領選で最有力と目された上院議員が、選挙戦を辞退するまでを描く。
ハート候補については知らなかったが、エリートで傲慢な自信家、という事だけは分かった。
弁舌爽やかでハンサムで、期待されていた、という事も知れた。
これは選挙の意義と、スキャンダルの意味するものを取り上げたののかと思った。
そして女遊びは男の解消、という社会通念が、少なくとも国の顔である大統領においては、一定の節度が求められて然るべき、という発想により抑制対象になって不倫の不利益が女性だけでなく優位な男性も責任を問われる社会規範が出来上がってきた、という事を示している映画だとも思う。
政策は良心的で、真面目に社会の底上げについて考えている人が、未来ある女性の将来にキズをつけるような振る舞いについては、悪い事だと少しも思わず、批判される事自体を理不尽だと捉えるという体制側男性の甘えた性根についても端的に描かれていて、女遊びが如何に気楽な気晴らしに過ぎなかったか突きつけられる感じで、何とも言えない気分になった。
この映画で気付いた事だが、スキャンダルをたかがその程度の事だと言うが、本人が問題を起こさなければスキャンダルになり得ないのだから、マスコミや関係者を罵倒するのはおかしいという事だ。
女性の場合は下らない中傷が打撃になるが、それが他人の話でもなかなか忘れられず、中傷が事実のように語られたりもするので、女性差別の強烈さは他に類を見ないものだ。
興味深い映画だったが、主人公が報道された女性以外の女性もいたのか、という質問に、そんな質問には答えないぞと言いながら、頑張るのに対して、いないとは答えないのかとうんざりした。
男性である上院議員で大統領候補者である人物tにとっては、複数の女性と関わるリスクは念頭におかず、あくまで気楽な遊びのつもりで不倫をしているだけなのだ。
全編通して女性の社会的地位の低さについて考える事となった。
プーチンを見ているとゴルバチョフ氏がクーデターで追われた事はソ連やロシアにとって痛恨事だった事が良くわかる。
女性差別が社会問題として認識されるようになった故に、スキャンダルも政治的価値が発生するようになったという事なのだと思われる。
CIA及びアメリカ合衆国の横暴。