映画ブログですが。

本日、Twitterで論争する羽目になりました。その事についての雑感を吐き出したいと思います。

 

小沢氏の支持者に自衛隊が米軍の下請けについて稼働している事を小沢氏はどう思っているのか質問しました。

軽いジャブくらいのつもりでした。

彼は怒りました。

 

「知らないくせに聞くのか」と。

怒るのは当然かもしれませんが、Twitter上では女性の投稿に対して平気で「嘘つき」呼ばわりした上、説明や証明を要求する事例が散見されるため、知らない事を聞くのは当然の権利だと誤認していました。

 

そもそも議員の行動を外野が把握するのは非常に困難です。

政府与党のする事は定期的に入手できますが、野党議員が何をしているかを把握するのは、一般人には厳しいのです。

私なりに情報収集はしていますが、政府与党の行いが危険すぎ、そちらを追うのがやっとで、野党議員の行動まで逐一追いかける気力も、時間もありません。

 

詳しそうな人物を、勝手に支持者代表と見立てて質問したのが間違いでした。

こちらは勝手に窓口扱いして小沢氏の支持団体に対して質問したり、提案したりしたつもりだったのですが、彼は自分個人に要求しているのだと思ったようです。

文面を見たら違うのは理解できると思っていましたが、甘かったです。

一面識もない人物とのインターネット上でのやり取りの難しさを痛感しました。

 

ネトウヨは居心地がいい、という評価の実態を垣間見る事になりました。

 

彼らは確固たる考えや理念がない利益集合団体なので、鵺のように広がり、違ったものを許容する余裕があります。

色んな人から攻撃された事のある議員の支持者は、余裕がなく、自分の想定していない失礼な事を聞かれると、自分が攻撃されたように錯覚し、相手を排除する動きにでる、という事です。

 

軽い皮肉や批判も、攻撃と認識して対応していては、現状に疑問を持っている人物の受け皿になり得ないのです。

 

これだけ、安倍政権の腐敗・不正・虚偽・偽装が表沙汰になっても政権を維持しているのは、自民党やマスコミの力だけではなく、批判側が頑迷な点もあるのかもしれないと思いました。

 

目標を同一視した人々だけでは弱く、様子見程度の人も受け入れなければ、大勢を動かすことは出来ません。

批判と攻撃を同一視しては、会話も成り立ちません。

 

新参者を厳しく追い払っては、勢力拡大に繋がりません。

議員を盛り立てる事ではなく、日本を良くしたいと思うなら、偏見をぶつけてきた相手に、発言の機会をくれたくらい思わないと、支持者は増えません。

 

仲間内の団結に拘っているのかもしれません。

 

安倍政権批判者も、何とか鵺のような広がりを作れたらいいな、と思いました。

 

備忘録代わりに書きました。雑文失礼しました。