銀河英雄伝説 星乱 第一章


『銀河英雄伝説 Die Neue These 星乱』第一章 ロングPV

 

人気小説の映画化。

テレビ放送があまりに同盟よりだったので躊躇したが、それなりに面白そうなので

見に行く事にした。

 

ラインハルトは主人公として遇され、同盟偏重ではなかった。

小説で描写されるような特別な美貌という印象はなかったが。

ヤン提督のファンが製作現場にいるのかとは思った。

 

戦争の描写としては宇宙空間の表現が難しいだろうから仕方ないとは思う。

勝敗の結果だけ示されるように見えるのは残念。

 

姉上もキルヒアイスの人生を決定づけた美貌には見えない。

姉弟の特別感が薄らいだ印象なのは絵柄のためだろうか。

 

皇帝の葬儀場面の描写は良かった。

原作でも省略されたような気がする。

戦争が続いて社会は疲弊していても、宮廷には無関係という事実が分かり易かった。

 

ヒルダについては、一部で懸念されていたが、知的な伯爵令嬢としての人物造形が

為されていたと思う。

姉上より配役が適当なのはやむを得ない。

伯爵家の跡取りに相応しい扱いを製作者から受ければ文句はない。

 

今回美味しかったのはフェルナー、シュトライト、ミュッケンベルガー元帥当たり。

フレーゲルは華々しく散ってくれるだろう。

 

同盟軍は、やられ役の部分が強すぎる。

ジェシカに救いがあるといい。

 

無難な出来だが、ファンなら楽しめるのでは。

原作未読の方がやはり面白いだろうとは思う。

 

続きの描写が気になるので、多分続編も見ると思う。

 


『銀河英雄伝説 Die Neue These 星乱』新規キャストキャラクターPV

 

続編を見ると書いたが、多分見ない。

 

以下蛇足。

 

皇帝夫妻(ラインハルトとヒルダの事)について、 「キルヒアイスが生きていたら

結婚しなかった」と言う人が散見される。

個人の見解としては自由だが、何故しつこく主張するのか。

考えてみた。

ラインハルトにキルヒアイスや姉上以外の特別な誰かが存在する事を受け入れたくない。

ヒルダが気に入らない。

理由としてはこのあたりか。

一方ヤン提督については、そのような事は言われない。

ジェシカとラップについての想い、ジェシカの死去についてフレデリカの存在があって吹っ切れた部分は多分にあると思うのだが、ジェシカについてはあまり触れられない。

一方、キルヒアイスについては「半身」として配偶者になったヒルダと対比される。

性別が異なり、立場も違う二人は比較対象になり得ないと筆者は思うのだが、並べられる。

キルヒアイスは友であり部下であって、恋愛対象ではないと思う。

キルヒアイスは姉上に崇拝に近い恋愛感情を向けているので、弟であるラインハルトを

代替物扱いしたりしないと思う。誇り高いラインハルトは絶対に許容しないだろう。

だからキルヒアイスヒルダを比較対象にするのはおかしいと思う。

相談相手として比較するならともかく、キルヒアイスが生きていたら結婚しなかったはず、とあたかも事実であるかのように語るのは止めて欲しい。

大体ラインハルトはキルヒアイスの死に責任を感じ、「自分だけ幸せになったら、生者

はともかく、死者は許すだろうか」と(確か)独白しているくらいだし、幸せになれると想像しているとすれば特定の相手、この物語では他に該当者はいないのだから、ヒルダを排除するのは不自然。キルヒアイスが生きていてもヒルダと結婚したと私は思う。

 

好みがそれぞれなのは承知しているが、あまり声高に否定されるのは聞き飽きたので書いてみた。

これは小説で、現実ではないのだからあまりしつこく論じるのは感心しないのでまとめてみた。

何だかんだ言っても主人公あっての物語なので、主人公回りについて自分の好みと違うからといってしつこく否定する言辞は慎んでもらいたい。

皆さん、いろんな本があるので他の本も読んでみて欲しい。

銀河英雄伝説に負けないくらい好きになれる本もきっとあるはず。