粛清裁判


『粛清裁判』予告篇

 

スターリンの五ヶ年計画の頃、1930年前後のソ連で、スターリンの政策を危惧する

学者や技術者による五ヶ年計画を阻害する意図での共謀(ストライキの事)が行われ

ていた。

彼らは「産業党」と名乗り、フランスを頼んで、母国ソ連に介入してもらい、共産党

政府を倒す、という企てを計画し、準備していた。

介入は、政治的、経済的なものか、軍事的なものを含むのか、不明確なものだった。

 

政治犯として起訴された国立大学の教授や技術者を弾劾するための裁判の様子を、

延々と見せるえいが。

会場は通常の法廷ではなく劇場のように見えた。

 

傍聴席は満席で、老若男女幅広い世代が列席していた。

時折挟まれる屋外での処刑を訴えるデモの様子、「被告人」の証言の後、検事が

銃殺を求刑した際の傍聴人の雄たけび、どれも強烈だった。

 

政府への「信頼」もあるのだろうが、基本的には持たざる大衆の、持つ者である

エリートへの、鬱屈した不満、政府によるはけ口として攻撃しても良いと差し出された

人々への遠慮のない感情をぶつけただけに過ぎないのではないかと思った。

 

本編が終わった後、この裁判に係わった人間のその後が記される。

想定外の人間が銃殺されており、この政治ショーの企図された理由が分からなくなり、

しばらく考えた。

 

この裁判は、弾圧の意図はもちろんのこと、優秀な学者や技術者を表社会から

放逐して、政府の支配下に置くためだったのではないかと思った。

逃げ場のないエリートを、完全に共産党政府の私兵として使うために。

大衆をあくまで大衆として確保するために。

優秀な学者が研究成果を社会に還元しては、「目覚める」人間が出てくる可能性が

あり、従順な都合の良い大衆が、厄介な個人に化ける場合もあるかもしれない。

それを防ぐためではないかと想像してみた。

 

何にせよ、恐ろしい政治裁判には違いない。

この傍聴人たちは、何人大戦を生き延び、スターリンの粛清を生き延びる事が出来たの

かと、少し気になった。

 

 

tanosiieiga.hatenablog.com

 再度この過去記事を貼り付ける。

劇中の時期も近いので当時の社会情勢を垣間見れる。

 

 

tanosiieiga.hatenablog.com

 毛色は違うが、皆が他人事と思って放置していた社会の現状を取り上げた映画。

大物は出てこないが、だからこそ自分の事として考えられる。

 

 

tanosiieiga.hatenablog.com

 米国の民主主義のために戦った人々の映画。

こちらは通常の裁判の範囲だろう。

政治的だが。参考になる。

 

この映画は現在日本でも問題の「学問の自由、思想の自由」に係わる題材。

是非見て欲しい。

 

 

 

学問の自由と憲法と権力の関わりについて。

参考になると思う。