貴重な室町時代の物語。
主人公は世阿弥のライバル、猿楽役者の犬王と琵琶法師。
平家物語を基調に、物語は進行する。
壇ノ浦の漁師の親子の下に、ある日足利家の人間がやって来る。
彼等はかの平家が海に捨てた三種の神器の草薙の剣を海から回収したいと言うのだ。
親子は引き受ける。
見つけた剣を不用意に引き抜いた親子はその報いを受けるのだが、という話。
健康な子どもだった少年が、琵琶法師になったのは、神器のせいだった。
琵琶法師は都で異形の役者と出会い、二人は物語を紡ぐ。
それは、打ち捨てられた者たちの物語。
呪いとしてこの世に残り、漂っている。
それに差し出された犬王。
だが、天性の才があった。それは呪われた故なのかもしれなかった。
この映画では、呪いや奇跡は存在し、強大な力を保持する。
某百鬼丸を思わせるものだが、昔話の一つとして逸話があるのかも。
何時でも、何処でも、酷い親はいる、というだけの事か。
後半の舞台演出は圧巻だった。
そして主人公の人生の来し方も。
物語を紡ぐ者と演者の違いかも。
犬王の方が「普通の人」だったのかも。皮肉だが。
琵琶法師ほど、物語への思い入れが無ければ、当然の選択だろう。
権力に逆らうのは恐いから。
この話では多分悪役だった足利義満。
だが、京都市内の統治については一応朝廷の責任範囲だったはず。
権力は、常に誰かを弾圧している。
政治は、利害調整だから、不利益を受ける者は常に存在する。
だから、特定の人間、特定の階層、立場、職業にばかり不利益を向けないようにするのが権力者や政府の仕事のはずなのだが、現在の政府は自分たちばかりが利益を享受している。
まだまだ余裕がなかった足利家としては致し方ない部分もある。
現在は一応安定しているはずなのにこのざまである。
娯楽作品としては正直絵柄を変えた方が良かったのではないかと思う。
特にしつこく口元を描写したのには辟易した。
「物語を紡ぐ」為には必要だったのだろうが。
あそこまで釣り目の人間もいないだろうに。
私は面白かった。終盤は思わずリズムを刻んでいた。
それにしてもモチーフはやはり龍なのか。鳳凰も中国由来だし。
日本独自のものはあまりないな。
これだけ中国文化圏なのに中国を目の敵にして喜ぶ人がいるのは不思議だ。
龍に代わるものがないから「三種の神器」は重要なのか?
でも全て人が作ったもののはず。
決して超自然的なものではない。
思い(呪い)が籠って超自然的な力を得た、という事なのだろう。
途中の歌は西洋音楽に寄りすぎな気がしたが、まあいいや。
一度は見てみる事をお薦めする。
歴史に興味のある人も、ない人も、何か興味を惹くものが一つくらいはあるはずだ。
打ち捨てられた人間たちを継ぐ者の一人として、貴方も物語に触れよう。
物語の集合体、本。それを集めたもの。
フランスのアニメ。犬から見た人間。日本の描写とはまた違う。
ハリウッドの謎の事件。これも色んな物語が作られている。